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真・女神転生III マニアクスが終わった

こんにちは、くまです。
今年の3月から長らくプレイしていた真・女神転生III マニアクスがようやく終了しました。
相変わらず面白いソフトです。
くま的にメガテン最高傑作です。

以前のブログに書きましたが、当時くまは真・女神転生III マニアクス クロニクルエディション(マニクロ)しか持っていませんでした。
秋葉原に行った際に、中古屋でマニアクスを見かけて久々に真IIIをプレイしてみようと思ったのが、久しぶりに始めたきっかけです。
クリアまでにだいぶ時間が掛かってしまいました。

過去の記事:現在 真・女神転生III NOCTURNE マニアクス をプレイ中
過去の記事:真IIIマニアクス アサクサパズルをクリアした!!

ネタバレになります。

真IIIにはエンディングがいくつかあります。
それは「自由」「シジマ」「ムスビ」「ヨスガ」「悪魔」そして「コトワリ無し」です。
エンディングは基本的に主人公がどのコトワリを選ぶかによって決まります。
コトワリというのは所謂思想です。

「自由」というコトワリは、様々な思想が入り交じり共存する世界。
この自由とは、何をしてもいいという意味ではなく、様々な思想を持つことが許されるという意味ですね。

「シジマ」というコトワリは、人々が世界の歯車のとなり定められたことを淡々とこなす静寂の世界。
整然と管理された世界なのだそうです。
新たな創造が許されず、同じ事を繰り返すだけと言う事でしょうか。

「ムスビ」は誰にも干渉されず干渉しない世界。
個々人の思うがままに振舞える世界らしいのです。
他者との関わり合いに煩わしさを感じることは人間生きていれば少なからずありますが、他者との関係を断ってしまうと何をやっても無意味になるような気がします。

「ヨスガ」は究極の実力主義のような世界。
強者のみが生き残り弱者が淘汰されてしまう世界なのだそうですが、ではこの場合極端な結果を考えると、ただ一人しか生き残れないのではないでしょうか。

「悪魔」は、アマラの深淵に住むあるお方の誘いに乗り、主人公が究極の悪魔となった場合のエンディングです。
コトワリとはちょっと異なるかもしれません。

「コトワリ無し」はいずれのコトワリも選ばなかった場合、このエンディングとなります。

「シジマ」「ムスビ」「ヨスガ」は想像できそうですが、いまいち現実味の無い世界ですね。
ちょっとピンとこないというか、実際その思想が実現された場合世界はどうなってしまうのでしょうか。

ゲームの内容はファンタジーですが、様々な思想が存在し、それを実現しようと活動している人たちが世界中にいるという点は、現実世界に共通するところですね。

さて、くまは真IIIを何周もしていると過去の記事に書いておりますが、実を言うと「シジマ」「ムスビ」「ヨスガ」のエンディングを見たことがありませんでした。
真IIIを始めた当初は、ゲームの進め方が悪く「コトワリ無し」にばかりなっておりました。
何周かプレイして、「悪魔」と「自由」を見ることが出来たのですが、それ以降遊んでいませんでした。
それで今回は見たことが無いエンディングを見ようと思って始めたのですが、結局「自由」を選んでしまいました。
やはり、高尾 祐子先生を助けたいと思う気持ちと、フトミミさんとは戦いたくないという気持ちがあり、ついつい同じエンディングを見てしまいました。
ですが、「自由」エンドは結構好きなエンディングです。
「自由」エンドの後の主人公と高尾先生の関係やいかに…
気になるところですが、残念ながら後日談はありませんので自分で想像するしかないです。

次こそ見ていないエンディングを見るために、もう何周かプレイしても良いのですが、他に積みゲーが沢山ありますので別のゲームをしようかと思っています。
次なるソフトはWizardryを遊びなおすか!と考えておりますが、Wizardryも沢山あるので迷います。
PC版、ファミコン版、どのシナリオを遊ぼうか、Wiz8も遊びたい。

という事で、今日はこれでおしまいです。
それではまた。

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